翌日、山本先生の手紙を懐中にしてK市行の汽車に乗った。紺がすりに小倉の袴、それに鳥打帽といういでたちである。この小倉の袴は父と二人で古着屋へ行って買ったものだが、一着八十銭であった。あまり安いので二着買った。その一着は戦時中母のモンペに化けたが、残りの一着はいまだに私の手もとにある。
今でもこの袴を見ると、懐かしい代用教員時代の思い出がはっきりと浮かんで来る。
K市につくと、先ず伯母の家に身を落着けた。伯母の家は饅頭屋をしていた。家族は伯父と伯母とその息子の、私にとっては従兄にあたる政男との三人だけであった。
夜になると、政男は二階に上がって、好きな機械の本を読むし、伯母は古びた、裁縫箱を持ち出してつぎ物などをするのがまるではんこでおしたようにきまっていた。
そして、伯母は、二針三針縫いはじめると、きまって、こくりこくりと居眠りをはじめる。それを伯父が眼鏡ごしに睨んで伯母の名を呼んで叱りつけ、伯母がびっくりして目をさまし、二針三針縫ったかと思うと、又こくりこくりと居眠りはじめる。それを伯父が叱りつける、これを何回も何回も繰返すことも毎晩きまっていた。
これが一しきりつゞくと閉店である。伯父が昔かた気で十時にはきちんと戸を閉めてしまう。近所では一番早い。それから伯父が古風な鋲や金具の一ぱい打ってある大きな硯箱と大福帳を持出して、その日の売り上げを、貸し、買いものなどをつけるのである。
「それからツ?」
伯父がいらいらしたように訊く。伯母がその前にきちんと坐って両手を膝において答えている。
「あぶらげ 一枚」
「なんぼや」
「……銭」
「なに? 何銭やて」
「……銭」
伯母の両眼は病犬のようにとろんとして、開いたり閉ぢたりしている。体がふらふらと前後にゆれている。
「何銭やツ しっかりいわんかい」
伯父が叱りつけると、伯母はびくっとして眼を開く。
「何でしたいなあ」
「油揚ぢや、油揚一枚、何んぼうや」
「あゝ、油揚どすか、五銭どすわ」
「ちえツ」
伯父はいまいましそうに舌打ちをする。
これがすむといよいよ寝る段取りとなる。
その前に仏壇の前にぬかづいて今日一日無事に暮させて貰ったことをとても有難そうに、落涙せんばかりの口調でいう。私はそれをいつも感心してきいていた。よく、照れ臭くもなくあんなことがあんな有難そうに云えたもんだと感心していたのである。
それから、伯母は皿に米を盛って、上りかまちの上に置く。そして
「さあさあ、娘さんたちや、今晩も御馳走おいといたげるさかいな、おいたせんときやすや」
と真面目くさっていう。鼠たちにいっているのだ。これは毎回、噴き出しそうになって困った。
それから私は二階に上がって寝るのだが、表の間で政男はとうに寝ている。私は足音を忍ばせて裏の部屋にはいる。六畳程の広さはあるのだが、饅頭を包む竹の皮がぎっしりと詰めこまれ積み上げられていて、畳の見えているところは真ん中の二畳位しかない。そこに伯母が蒲団を敷いてくれている。
電灯はついていないので、ガラス戸越しに来る表の間からの明りで着物をぬいで蒲団の中にもぐり込む。しばらくすると、鼠が天井や竹の皮の上で暴れはじめた。小声でしっといってみるが全然こたえもしない。
折角伯母が米をやって暴れるなといっておいたのにと思ったが、どうせ、そんな事をしたって駄目な事はわかり切っているのだから、鼠に腹を立てるよりも、そんな馬鹿げた事を毎日繰返している伯母の方に腹が立って来た。
くらやみでじっと目を開けてみるが鼠の姿は見えない。しかし、積み上げてある竹の皮の上のあちこちから、あの円らな黒い眼をきらきらさせて、私を見下しているにきまっている。時々、き、きと、鳴く。闇の中に、白い小さな牙がちらちら見えるような気がする。生憎なことに松風堂時代に使っていた丁稚たちが、よく、鼠にうなされた話をしていたのを思い出した。
体中大きな岩でおさえつけられているようで苦しくてたまらないので目がさめる。動こうとしても動けず、声を立てようとして声も出ず、ふと透してみると、蒲団の丁度胸の上に鼠が一匹乗っていて、さも嘲り笑うように白い牙をむき出して、ききと鳴くのだそうである。その鼠がどこかへ行くととたんに体も動き、声も出るようになるということである。
私は心細くなって、かけ蒲団を鼻のへんまで引き上げた。かび臭いにおいが鼻につんとしみこみ、手織木綿のごつごつした感触が頬をおして来た。とたん、がさがさっと大きな音を立てゝ枕元を一匹の鼠が走った。はっとして、顔を蒲団の中に埋めた。
そのまゝじっとしていたら、父や母の顔が思い出されて来て、鼻の奥がきゅうとしめつけられるような気がしたかと思ったら、ぽろっと涙が出た。
(月刊『SANA』(サーナ)第52号(1953(S28).10.1、真生活協会)より)