代用教員である私には担任学級はなく、誰か欠勤した先生があると、その学級へ補欠として教えに行くのが仕事であった。だから、欠勤の先生のない日には職員室でぽかんと椅子に腰を下ろしているということになる。そこで、よく給仕と間違えられた。
十八才の若造で、頭は丸刈り、紺がすりに小倉の袴、入口をはいったところの机で、その上には何にも載っていないとなると、給仕と間違える方があたり前である。
外来者で私を給仕と間違える人があっても、これは致し方がないが、内部の者で、私の身分をはっきりと知っていて、ぶべつした者があったので、遂に一寸痩せ腕を振った事件があった。
高等科二年の先生が休んだので私はその補欠に出ることになった。
始業の鐘がなったので私は直ぐ職員室を出て、教えられた高等科二年の教室へ急いだ。生徒達もぞろぞろと教室へはいっていた。私より体の大きいのが沢山いる。
階段を上っていると、その連中が私をかこむように近づいて来て、そのうちの一人がどんと私にぶつかって来た。はじめは誤ってぶつかって来たのかなと思ったが、そうではなかった。再び別の奴が肩をぐんとぶちあてて来た。私はよろよろとした。
「へえ、これでも先生か」
「ひょろひょろやんけえ」
「洋服ももっとらへん」
「こんなもん先生やあるけえ」
「給仕じゃ」
「給仕々々」
「給仕が教えるなて生意気やぞ」
こういった悪罵がとんで来た。そしてもう一人どんとぶつかって来た。
私は全身がかっと熱くなり、次の瞬間、しーんと青ざめた冷たさがとってかわったのを感じた。私は黙って教室にはいって。
「今、階段で僕にぶつかって来たやつ、これでも先生かとか、給仕だとかいった奴、手をあげろ」
私は教壇から睨みまわした。彼等は互いに顔を見合せてにやりとしたり、窓の外を見てうそぶくようなかっこうをしていた。
「外へ出ろッ」
はずみというか、調子がよかったのであろうか、はつとみんな腰をうかすとぞろぞろと出て来た。
「なんや、なんや」
「外へ出て、どないしよういうね」
「行ったれ、行ったれ」
そんな声が背後からがやがや聞えたが、それはもう先程の悪罵程の強さはなかった。私は後ろを振り向きもせず、どんどん階段を下りていった。運動場へ出ると、はだしのまゝ砂場へ進んだ。彼等はやや困惑したような顔をしてぞろぞろとついて来た。
「大きい奴から順に一列にならべッ」
私の大喝にふくれっつらをしながらもごそごそと一列にならんだ。
「一番、前へ出ろッ」
私よりずっと体の大きい一番のやつが、なんでいというように肩をそびやかして一歩前へ出た。
「たッ」私の足払いがきれいにはいった。ずしんと地ひびきを打って相手はぶっ倒れた。そいつには目もくれず、
「次ッ」ちょっと尻ごみをする二番を、つつと進むと胸ぐらをとってぐいとひいた。ひょろひょろと前のめり出てくるところを「えいッ」
腰投げでぶっとばした。丁度一番が立上ったその足もとへどしんと二番がころげてへたばった。
もうこうなると完全にこちらの優勢である。残りの連中は全く気をのまれてただ蒼くなってぼんやりしたまま、次々と、私の足払いと腰投げにぶっ倒されていった。途中二三人少し抵抗した者もいたが、勢にのった私には物の数でもなかった。
それでも全部で三十人余り投げとばした時には、流石に、肩も腹も大きな波を打っていた。
「教室にはいれッ」
彼等はしおしおとうなだれて階段を上っていった。気がつくと袴のすそが少し裂け、着物の左の袖が半分ちぎれてぶら下がっていた。私は腕まくりをして教室へはいっていった。
「お前達は、服装だとか容貌だとか外形で人を判断するとあやまるぞッ」
私の一喝にみんな神妙な顔をして頭を下げた。
「わかったかッ」
「はい」大部分の子供が返事をした。
「よし、勉強だ、本を出せ」
丁度国語の時間であったが、国語なら、少々はやれる、どんどん質問々々で攻めたてゝ、ぎゅうぎゅういわせてやった。授業終りの鐘がなって、本をしまわせると、級長が大きな声で
「起立、礼ッ」
と号令をかけた。軽く答礼をすると、私はさっと教室を出た。後から連中もぞろぞろ出た来たが、くすッともいう者はなかった。職員室に帰ると、出目金先生に、袖のほころびをなおしてもらった。私はただ子供達と一寸、角力をとったんだといっておいた。
放課後まっ先に足払いでぶっ倒された一番が職員室にはいって来た。私の机の横に立つと直立不動の姿勢をとった。
「何だ」
「掃除、出来ましたッ」
「後の始末をちゃんとしたか」
「はいッ」
「よし、帰れ」
「はッ」彼は兵隊のようなおじぎをして出ていった。その辺にいた先生方があきれたような顔で、彼と私をみくらべた。
「へえー、あきれた、あの子がねえ」
出目金先生が例の近眼鏡をくっつけて、しげしげと私の顔をみた。
「小杉先生、一体どうしたの」「何がですか」
「何がって、あの子が、あんな神妙な態度で来るなんて、今までに一ぺんもなかったのよ」
「へえ、そうですか」
「えらい落着いてんのね、あんた、ね、何かあったんでしょ」
「いや、別に」
「へえー、不思議だわ」
翌朝、出目金先生は又おどろいた。それは、朝礼の時に、私が彼等の組の前に立つと、連中が一せいに直立不動の姿勢をとったからである。放課後、彼女は職員室にはいって来て隣に坐るなり
「小杉先生、あんた、やったのね」とささやくようにいった。私は黙って笑った。彼女は机の引出しから飴玉の袋を出すと、黙って私の前に置いた。
(月刊『SANA』(サーナ)第57号(1954(S29).3.1、真生活協会)より)