活版印刷ってご存じですか?
1970年代の終わりごろまでは書籍印刷の主流で、活字を組み合わせて作った「版」にインクをつけて刷っていく印刷技術のことです。
インクをつけた活字を紙に押し当てるようにして印刷するので、字の線が微妙に凹んでいて、紙面を触るとその凹みが感じられます。
現在はオフセット印刷にとって代わられましたが、オフセットにはないこの風合いを好む方が今でもたくさんいるようで、結婚式の招待状や名刺など小物の印刷ではまだまだ人気があるそうです。
そういえば、読まれた方も多いと思いますが、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」には、物語の最初の部分で、活版印刷のことが描かれていますね。主人公のジョバンニが活版印刷所で「活字拾い」(「文選」というらしいです。)をして銀貨をもらう場面です。
ジョバンニが何べんも目をこすりながら、小さな平たい箱に粟粒ほどの細かい活字を一字一字拾っていくシーンですが、もしも本を1冊印刷するとなると、まず小さな活字を原稿の文字数分拾い集め、それらをページごとに組み合わせて、一冊分の版に組んでいくということになるので、膨大な人手と時間がかかります。
こうした手間をかけて印刷された本のページ面を指先でなぞっていると、技を駆使し、さまざまな工夫を凝らしていた印刷所の職工さんたちの息遣いがなんとなく伝わってくるような気がしてきます。でもこういったアナログな感じが、とてもいいですよね。
筆者が古い書籍に惹かれるのは、そんなところもあるからなのかもしれません。
ところで今回なぜ活版印刷について取り上げたのか?…ですよね。
活版印刷のファンである筆者がその魅力を語り、ウンチクをただ単にひけらかしたかった……フフフ…確かにそれもあります。
けれども、みなさん一碧文庫や不問庵の収蔵品を思い出してください。
そうです。ここにはたくさんの糸賀、田村の著作や関連の書籍があるではないですか。
これらは、いわゆる古い書籍、古本、古書です。
当然、活版印刷が主流であっただろう頃の印刷物ということになります。
職工さんの息遣い満載です。
そこで、今回取り上げるのが田村一二が著した「手をつなぐ子等」なのです。
「手をつなぐ子等」は、京都にあった大雅堂という出版社から戦時下の1944(昭和19)年1月に初版が発行され、その後、終戦をまたいで第7版(1949(昭和24)年3月)まで出版されています。(その後も大阪教育図書、北大路書房からも再販されています。)
第4版からが終戦後になりますが、戦後すぐの混乱期、国の体制も180度転換した時期です。
GHQの占領下での書籍出版ですから、当然、検閲もあり、戦後版の第4版と第6版では、物語の舞台や時代は戦中という設定のままですが、軍国主義的な表現を変更したり、言葉を入れ換えたりする改訂がなされました。
今回は、その改訂について活版印刷という視点から語ってみたいと思いたちました。
先ほども紹介しましたが組版に膨大な手間がかかる活版印刷では、一度組んだ版は、増刷などにそなえてすぐにバラすことはせず、一定期間はそのまま置いておくそうです。(……保管場所はどうしてたのだろう……)
その上で、いざ改訂となった時、一から版を組んでいては、それこそ膨大な時間、手間がかかりますから、全面改訂は別として、部分的な改訂の場合、残してある版の改訂する部分だけを組みかえて使うのだそうです。
改訂によって、どこかのページの1行が削除された場合に、減った一行分を順次詰めていくとなると、章や単元の終わるところまで何ページにも渡って版の組みかえをすることになります。下手をするとページの番号まで換えなくてはならなくなり、目次も含めて、一冊分すべてのページの組みかえをすることになりかねません。
そうした手間を省くためにできるだけ他のページに影響が出ないよう改訂するページの版だけを組みかえていくのです。
戦中版と戦後版の「手をつなぐ子等」をページごとに比較すると、そうした工夫が見て取れるところが何か所かあるのがわかります。
今回は第3版と第7版で組みかえの跡がよく分かる部分、2ヶ所を紹介します。
(以下、▭内の本文は、旧字体を新字体に改めています。)
写真①は、一行削除された分を原稿の段階で一文追加することで、そのページ内で組みかえをしたという例です。(資料写真は文末にあります。)
ページ中ほどの軍国主義的な表現「さうでなければ、御国の為にすまない」という一文がカットされました。
そのため、第3版で
父親は、決然として出征していった。
後に残った母親は、どうせ学校を変わるならと思って、店をたゝんで、寛太をつ
れ、実家のあるこの町へ帰って来た。
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だったところを、第7版では原稿の段階で修正して
あわたゞしく、父親は出征して行った。
後に残った母親は、しばらくぼんやりしてしまった。しかし寛太の学校はどう
してもかえなければならない。
彼女は思ひ切つて店をたゝみ、寛太をつれて、実家のあるこの町へ帰つて来た。
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というように、「しばらくぼんやりしてしまった」という一文を挿入し、なおかつ「店をたゝんで…」以下の部分を改行して別の一文にしています。前段の文章で一行増やすことで減った一行分を補ったのですね。
2ページにまたがっていますが、その範囲内で版の組みかえを収めたといえます。
続いて写真②ですが、こちらは空白行を挿入した例です。
このページでも、軍国主義的な表現と思われる
話が軍人のことになって来たゝめか、先生の口調までが、軍人口調になって来
た。
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が、カットされました。
……子どもおもい、生徒おもいの心優しい松村先生までもが、軍国の教師になっている表現に今更ながらに気付かされました。戦時中は軍部の「検閲」があったからでしょうか。田村一二はどのように思っていたのでしょうね。……おっと脱線。
「た。」のたった二文字があったために、余分に一行削除しなくてはならなくなり、苦肉の策だったのでしょう、強引とも思えますが「空白行」を2行挿入することで、このページだけの組み換えに収めています。
空白行で挟まれた箇所は担任の松村先生が主人公の寛太をクラスの生徒に紹介する場面ですが、削除された2行のマクラになる「紹介終りツ」という部分と「名誉の」という軍国主義を煽るような単語は削られましたが、それ以外は第3版と同じです。
この部分が「 」で区切られたスピーチだったからできた荒療治だったのではと思います。
DTP(デスクトップ・パブリッシング)と言われ、今ではデジタルで簡単に修正できてしまうようなところですが、そんな現代だからこそ、この手作り感、ブラックボックスになりきらないアナログ感が筆者は好きですし、忘れてはいけないことのような気がしています。