養成所の方の夜学は大体に於て、三分の一は居眠りをしていたが、どうやら卒業も間近に迫って来た。
その頃になると、研究授業が廻ってくる。これは、なんでも好きな科目を選んで、それで公開授業をして、養成所の先生方や同期生で近くの学校の連中がやって来て参観して、後で批評会をやるという段取である。私の学校にもその通知が来た。私は校長室に呼ばれた。
「小杉君、君は、今度の研究授業に何をやる積りかね」
「はあ、図画をやろうかと考えていますが」
「図画?」
校長は苦り切った顔をした。
「図画なんちゅうものはつまらん、理科をやりたまえ理科を」
「理科ですか、でもいろんな実験道具がそろっていませんよ」
「道具なんか買えばよい、いくらでも買いなさい。」
「買ってよろしいか」
「あゝ、よろしい。貧弱な授業をしては〇校の名折れじゃ、この際、思い切って実験道具を揃え給え」
占めた。全くありがたいことになったものだ。今まで若い職員達がいつもこぼしていたのは、理科の実験道具がないこと、しかも、なかなかそれが買ってもらえないことであった。
実は、今度の研究授業を機会に理科の実験道具を少しでも揃える方法はないものかと、おりおり密議をこらして来たので、実のところ、理科はあまり自信がないのだが、そいつをやらないと道具が買ってもらえないから、理科をやることにしていたのだ。しかし、本当は図画をやりたいと思っていたので、校長にきかれた時は思わず、本心を言ってしまったわけだ。ところが、それが校長の図画ぎらいを刺戟して、反動的に校長の好きな理科に力こぶを入れさせてしまった。そして、どんどん道具は買い給えと来たのだから、これは全くわれわれの思う壺であった。
若い連中は喜んで、私をたすけてくれた。授業は「水素」で、発生させて爆発させる実験をやることになった。みんな実験道具をどんどん取りよせて揃えてくれた。
この際とばかり、「水素」に便乗して他の実験道具まで買いこんだりした。
いよいよ晴の「研究授業」当日となった。
理科教室の広い教卓の上には、実験装置が、整然とおかれている。みな、真新しいやつばかりだ。子供達は度肝をぬかれてぽかんとしている。
覗学、覗学委員、校長連中、同期生たち、うちの職員たちがぞろぞろと四十人近くもはいってきた。参観に馴れない場末の学校の子供達はきよろきよろとしておちつかないことおびただしい。
いや、実はこちらも先程から足下の教壇がどこかへいってしまって、まるで雲の上にのっているような気持なのである。
下っ腹にうんと力を入れて――そのために妙な浪花節めいた声になったが――授業をすすめていった。
いよいよ亜鉛に稀硫酸をそゝぎこんだ。水素がプクプクと発生しはじめた。こちらのガラス管の先にゴム風船をもっていったが一向にふくれない。昨日、下実験をやったときには、たしかに、ふくれたのだが。私はあわてた。ただ実験が、失敗したというだけではない。相手は水素である。爆発したら事だ。子供達がけがをしたという新聞記事を読んだことを思い出した。腋の下にたらたらと汗が流れて来た。いろいろと機械をいじってみるがどうしても外へ水素が出て来ない。教室中が無気味にしーんとして来た。
もう駄目だ。子供達に万一のことがあってはいけない。私は教壇の上から、後の方にならんでいる参観者達によびかけた。
「どなたか、恐れ入りますが、この故障をなおして下さる方はありませんか」
理科の指導委員が悲壮な顔をして教壇にかけ上がって来た。しばらくして、しゅうと水素が出て来て、風船がプウーとふくれはじめた。参観者の溜息と子供の歓声が一度に起こった。
水素でふくれた風船は、いくつもいくつも舞い上がって天井にくつついてゆれていた。授業の最後に、長い竹の先にローソクをつけて、風船を焼いた。風船はポカンと爆発音をたてゝけしとんだ。子供達は大喜びでポカンポカンと割っていった。
後の批評会では、さんざんに叩かれたのと、ほめられたのとが半々で、まるで水と湯を同時にぶっかけられたようで、妙ちきりんな気持になつた。
叩かれたのは、大体その場になってガスが出んというようなことではいかんではないか、もっと事前準備を入念にしておくべきだという意見。至極もっともで一言もない。
ほめられたのは、あの場合、自分の恥も忘れて、子供の安全のために、教壇から救いを求めた素直さはなかなかよいというのである。
研究授業も、学校に実験道具をいろいろ増したという功績だけを残してすんだ。
一年半の代用教員時代もすんで、養成所の卒業式が来た。この卒業式の後で本科正教員の免許状が貰えるのである。
式は、入学試験のあった女学校の講堂をかりて行われた。
式場にはいる前に、私が水道で頭をぬらしていると、岡崎の男が近づいて来た。
「小杉、何しとんな」
「毛をぬらしているんだよ」
「毛をぬらして、どうするんだ」
私は黙つてポケットから櫛を出して、そばの窓ガラスを鏡に髪をなでつけた。水でぬれた毛はつやつやとしておとなしく寝てしまった。これでのばしはじめてから四ケ月位、油をつけないので、いつもはばさばさ、今日は一生一度の卒業式なので、せめても水をつけてばさばさの毛をねさせておこうというわけである。
「これが本当の水油さ」
私が笑うと、彼もにやりとしながら、
「相変らずお前の貧乏は徹底しとるのう」
と感心したようにいう。
「願わくば、式のすむまでこの水がかわかざることを」
私はなるべく頭を動かさないようにそろそろと式場にはいった。式の様子は一切忘れて覚えがないが、たゞ頭髪の中から、しずくがつつうつつうと背中や胸へ流れこむ、そのこそばゆさ、気持の悪さ、しかも手拭を出して式の最中に拭くわけにもいかず、これには参った。
そちらへ気がうばわれて式のことは何にも覚えなかったのかも知れない。
本科正教員の免許状を貰って、月給が上ったら、まっ先に、ポマードを買ってやるぞと、所長の長たらしい式辞をききながら、わが頭にいゝきかせていた。。
(月刊『SANA』(サーナ)第60号(1954(S29).6.1、真生活協会)より)